ウィーン・フィルと、彼らが絶大な信頼を寄せる帝王ムーティ 流麗を極めた極上の響きに心服する![公演情報]
mooty.jpg 今回で26回目になるウィーン・フィルの来日公演は、現在、同フィルと最も緊密な関係にあり、楽員たちが絶大な信頼を寄せるというリッカルド・ムーティの指揮。とりわけ最近のムーティは、身体にピタリと合ったドレッシーなスーツを身にまとい背筋をピンと伸ばして颯爽と歩くイタリア紳士のような、優雅で折り目正しいフレージングと、そしてミケランジェロのダビデ像があの均整の取れた肉体で投石したかのような、スタイリッシュさと同居した推進力は維持したままに、まろやかさと深みを加えている。だから、この時期に、このコンビで天下のウィーン・フィルを聴ける幸せを堪能したいと思うのは、至極当然のことだろう。

 さて、私は9月16日と18日の2日間、サントリーホールに足を運んだ。まず16日は、ハイドンの交響曲第67番、そしてブルックナーの交響曲第2番である。ハイドンらの古典派音楽は今日、古楽器による演奏が主流になった感があるが、ヴァイオリンの反復で曲が始まると、この曲をモダン・オーケストラ、それもウィーン・フィルというモダン・オケの王者による演奏で聴く至福に身をゆだねることになった。ピリオド奏法とは一線を画した演奏だが、弦のまろやかさや、どこまでも美しい木管の響きに彩られて、繊細にして優雅な音の綾が織り上げられ、とろけるような響きに身を任せる幸福感と言ったらない。フル・オーケストラで演奏されながら、卓越したヴィルトゥオーゾによる室内楽であるかのような響きをも同時に実現したことも稀有なことだろう。そして、最終楽章のアダージョの洗練に立ち会い、ピリオド楽器による演奏が全盛の世であっても、この甘く優雅なハイドンの価値は揺るがないものと確信することになる。
 続いてブルックナーの第2番。ひとことで言うなら、まさにムーティらしい流麗なブルックナーだった。湧き上がる弦をまさぐり、束ね、旋律を描くムーティの手さばきそのものが流麗で美しい。それはムーティの動きそのものが視覚的にも流麗なのだが、それがそのまま音に繋がっている。時折、各パート間の呼吸が合わないと思われる部分もあったが、それはブルックナーでも第2番は、ウィーン・フィルも演奏回数が多くないからだろうか。が、それはムーティが構築する楽曲全体の中では大して問題ではない。第2楽章では、まさに弦がたっぷりとした波、それも金色の波を描く。スケルツォ的な第3楽章では、ムーティらしい折り目正しさで腰のある音楽を作り上げ、心地いい。そして終章は、グイグイと推し進めて鮮やかに締める。いわゆるブルックナー通から見れば、若干違和感があったかもしれないが、ブルックナーがいかにカンタービレに溢れ、優美で、流麗であるか――ということに改めて気づかされた聴衆も多かったのではないか。
 アンコールは、マルトゥッチの夜想曲。ウィーン・フィルの黄金の響きで優美な旋律を堪能した。

 18日は、ヴェルディのオペラ《ジョヴァンナ・ダルコ》序曲から始まった。スカラ座の音楽監督時代にいつも聴かせてくれた、シャープで、ノーブルで、推進力あふれるヴェルディだが、かつてのようにただ力強いのではない。緩急の幅が広く、単純な曲をけっして単純に聴かせない。続いて、同じくヴェルディの《シチリア島の夕べの祈り》のバレエ音楽。パリで初演されたこのオペラには、当時のフランスの伝統に則ってバレエの場面が書かれたが、現在では省略されることが多い。だから、私自身、大した曲だと思っていなかったのだが、ムーティとウィーン・フィルにかかると、これがヴェルディらしいカンタービレとリズム感に溢れた名曲であることに気づかされるのである。オペラ1曲の充実感にも匹敵する、と言ったら大げさだろうか。
 後半はニーノ・ロータのトロンボーン協奏曲と、交響的管弦楽組曲〈山猫〉。南イタリアの都市、バーリの音楽院でロータ教授から和声や対位法を学んだムーティの思いによって実現した異色のプログラムである。口当たりのいいロータの音楽は、とかく軽く扱われがちだが、実は、そこにはベルカントを発展させ、旋律を音楽の中心に据えてためらわなかったイタリアの良き伝統が息づいている。もちろろ、ロータは20世紀において、確信犯的に調性を死守し、旋律にこだわってきたのである。無条件に美しく、躍動し、心をときめかせるロータの音楽。それがウィーン・フィルの響きを得るとこれほどまでに輝くのか、と痛感させられた。
 アンコールはプッチーニの《マノン・レスコー》間奏曲。98年にスカラ座でムーティ指揮の同曲を聴いて以来、この曲の美しさの虜になった私にとって、このうえなくうれしい選曲である。スカラ座のときよりもさらに緩急が付き、全体には以前よりゆったりとした演奏で、言い換えれば、ムーティの円熟が如実に表れていた。そしてビオラとチェロの美しさは、筆舌に尽くしがたいものがあった。

香原斗志(かはら・とし)◎音楽ジャーナリスト


2008-10-20 19:43 この記事だけ表示
 
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