第8回  「バー・ブタオのハイドンって男はね」vol.1 妻と愛人編[公演情報]
ハイドン没後 200年記念 ハイドン・イヤー最大級のプロジェクト!! 新日本フィルハーモニー交響楽団 フランス・ブリュッヘン・プロデュース  “ハイドン・プロジェクト”ロンドン・セット全曲演奏会

新日本フィルハーモニー交響楽団 フランス・ブリュッヘン・プロデュース “ハイドン・プロジェクト”ロンドン・セット全曲演奏会 第8回目はブタオ・ママによるハイドンという男とは?

ここは、とある新宿3丁目の小さなバー。今日も夜更けに客たちが、見聞広いママのもとへやってくる。 広い世界のはじっこで、流れるような昔話を聴きながら今宵もとっぷり更けてゆく・・・

ブタオ・ママ:
「ハイドン?ああ、昔そんな男がいたわね。よく音楽室のはじ〜の方に並んでるちょっと影の薄いあの男・・・ でもね、教科書なんかで澄まして品行方正風な顔してるけど、あれはきっと「交響曲の父」「弦楽四重奏の父」 なんてつけられちゃったもんだからそのせいね。本当はね、お茶目で最高のアイディアマンで、みんなから とっても慕われた魅力的な男だったのよ・・・。恋もね、いろいろあったわね。やっぱり音楽家だしね・・・。」

というわけで、コラム第7回から、このプロジェクトのもう一人の主役「ハイドン、その男の素顔」に迫ります!

序:世にも恐ろしい「悪妻」

ブタオ・ママ:
まず、愛人の話をする前に、彼の家庭について話しておくべきね。 ハイドンはね、結婚していたけど、それは大失敗だった。相手はケラーっていうかつら師の家の娘。 でもハイドンははじめ妹のテレーゼの方が好きだったのよ。かわいい娘でね、ハイドンはすごく好きだったのよ。 でもケラー家には姉のマリア・アロイジアがいて、まだ嫁ぎ先が決まっていなかった。だから親としては まずはそっちを先に片付けたいじゃない?だからね、おそらく経済的なプレッシャーを以て、ハイドンはこの姉の方を 押しつけられちゃったの。受け入れたハイドンもハイドンだけど・・・ それでね、この娘がワガママで何もできない浪費家だったから大変よ、ホラ、金持ちの娘によくある話だけど。 あれだけ稼いでいたはずのハイドンの妻なのに、「別居するようになる60歳まで、貧乏だった」なんて抜かしたらしいわ。 そりゃ浪費癖の激しいアンタのせいよ、って話。寝室も別でね、結局最後までこの夫婦に愛情はなかったみたいね。 まあでもこのケラー家と姻戚関係を結ぶことで、ハイドンにしてみれば当時の社交界とのつながりができたの。 そこでお金持ちのやり手マダム、トゥーン夫人や、「才能ある男がいるわよ」っていう彼女の紹介でのちにパトロンとなる フュールンベルグ男爵に出会うのだから。

まあそんなわけで、家庭で愛の得られなかったハイドンが出会った、女性たち。それはね…

ハイドン、3人の愛人?

ブタオ・ママ:
ハイドンは生涯に少なくとも3人の愛人をつくっているわ。 一人目はルイジア。1775年頃、ハイドンが楽団長を務めるエステルハージ家のオーケストラに、年をとった ヴァイオリン奏者・アントニオ・ポルツェルリとその妻で歌手のルイジアがやってきたの。 下手な歌手でね、でもハイドンはすごく彼女を好きになってしまって、彼女もそう、誰にも二人の恋は止められなかった。 当時ルイジアは19歳、ハイドンは43歳、24歳差の年の差カップル。二人は楽団内でも堂々と交際していて、 その関係のことは皆知っていたわ。ルイジアの夫はもちろん、ハイドンの妻も。 一度、彼女が二人の密会の現場に踏み込もうとしたことがあったの。でも、楽団員たちはそれを阻止するために協力したのよ! 「やっとパパ・ハイドンに好きな人ができたんだ!」彼らはハイドンの家庭が冷え込んでいることを知っていたから、 慕っているパパ・ハイドンに愛する人ができたことを喜んでいたのね。来ないはずのハイドンの妻がやってきたのを、 オーボエとチェロ奏者が体を張って行く手を阻んだ時に倒れて骨折までした、って話もあるわ、マユツバだけど、 要はそれだけ愛されてたってことよね。 このルイジアとの愛が、ハイドンの音楽的な“前進感”にもつながったの。それからめったに外出できない環境で、 手元にすぐ実験できるオーケストラがあったこと。外部から遮断されていたからこそ、こんなにも独創性、 オリジナリティーあふれる音楽が生まれたのね。

誰にも止められない、この想い…

ブタオ・ママ:
さて、ルイジアは歌手だったわけだけど、これが下手でね。ハイドンの愛人じゃなけりゃとっくにクビになっていたでしょうよ。 でも愛するルイジアのためにハイドンは音楽的にもいろんな手助けをした。たとえば、音が取れない彼女のためにその場で イントロを追加してあげたり、調を変えて音を下げてあげたり!そりゃあみんなにバレるわよね。 そして、ルイジアは1783年に男の子を産んだの。名前はアントニオくん。即座に「ハイドンの子だ」っていう噂が広まったわね。 真相は闇の中だけど、後年アントニオさんの娘が「あたしのおじいちゃんはJ.ハイドン」って言ったっていう話もあるわ。 ルイジアの夫にしてみれば、ひどい話だけど・・・でも、二人の間に生まれた愛情には、誰もなす術がなかったのよ。 ハイドンの妻は、もともと自分の夫に全く興味がなかったから、お金さえあればよかった。 ハイドンは「自分の妻は自分がどんな働きをしていようと関係ない」って言ったこともあるみたいね。

「ゲンツィンガー夫人」
永遠の憧れ、あたたかい家庭

ブタオ・ママ:
二人目の愛人は、ゲンツィンガー夫人。歌とピアノが上手でね、ハイドンの音楽の大ファン。 彼女がハイドンのシンフォニーをピアノ版にアレンジしたのよ。そしてその楽譜を「是非聴いていただけませんか」って 言ってハイドンに送ったの。それが恋のはじまりだったわ・・・。ハイドンは乞われるままにウィーンにある彼女の自宅へ行き、 そして一目惚れをしたの。温かい家庭の雰囲気に終生恵まれなかったハイドンにとって、幸せな彼女の家は本当に魅力的だったのね。 でもゲンツィンガー夫人は貞淑な妻だった。ハイドンをとても尊敬し、その人柄も愛していたけど、異性としては まだ見ていなかったのね。その頃は。だけど次第に二人の間に愛情が芽生えてくるのよ・・・これだから男と女ってのは・・・(略) その後、オーケストラが解散されてハイドンがロンドン行きを決意したとき。ルイジアは一緒に行きたいと言ったの。 すでにこのとき彼女の夫は亡くなっていたわ。でもハイドンの情熱は、もう冷めてしまっていたのね。 すでに心はゲンツィンガー夫人に傾いていた。そこでハイドンは「そろそろ(故国の)イタリアに帰った方がいい、 年金を払ってあげるから、これで再婚でもしなさい」と突き放したのよ。・・・案外、冷たいわよね。 一方で、さっきのゲンツィンガー夫人には、ロンドンへ向けて出発する際「海と陸とを隔てていても私を思い出してください」 なーんて手紙を送っているのよ。ロンドンからもたくさんの手紙を彼女に書いているわ。 ちなみに、彼女は1793年に43歳の若さで亡くなったわ。(コラム第4回参照:「親しい友人が死去」)ハイドンは、 彼女の死に相当なショックを受けて憔悴の日々を送った。そして最早ウィーンに心残りはないとでもいうかのように、 迫りくる老いとい孤独感を振り切って再びロンドンへ旅立ったの。

第3の愛人 in LONDON

ブタオ・ママ:
でも、ゲンツィンガー夫人一筋だったかというと、実はそうじゃなかった。新天地ロンドンでは、最初のロンドン旅行で 別の愛人とも楽しんでいたの。これだから男ってのはいやね。シュレーター夫人は齢50歳を過ぎたご婦人。 これまたハイドンファンで、ハイドンは彼女の書いたドイツ語の熱烈なラブレターを持ち歩いてたみたい。 ハイドンはからっきし英語がだめだったけどすっかり相思相愛の関係。ちなみに、最後までハイドンの英語は うまくならなかったけど、恋には支障なかったみたいね。2回目のロンドン旅行の時も随分仲良くしてたと聞いたわ。 すでにこのときゲンツィンガー夫人は亡くなっているから、彼女が彼の心の支えだったかもしれないわね。

というわけで、これで愛人のは話はおしまい。なんだかんだ言って、音楽家ってのはアレよね。
どんなにマジメなハイドンの場合も、例外にはならなかったのよ。彼にとっての重要な女性は、ルイジア、ゲンツィンガー、 シュレーター。歴史の裏には、いつも女性が隠れているもの。そして彼女たちとの出会いが創作の糧となり、 そしてハイドンの作品はいまも世界中で愛されているのね。 でもハイドンはやっぱり相当モテたってことよね。ハイドンの男としての魅力、あなたはどう思うかしら?



バー・ブタオ(Bar Butao) この番組は2ndヴァイオリン奏者:篠原英和の監修でお送りします。 ★篠原英和(しのはら・ひでかず)通称ブタオさんと呼ばれております。 室内楽のプレトークで活躍中。



<次回は「出世編」に続きます。 お楽しみに!!>


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2009-01-27 21:32 この記事だけ表示
 
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