第9回  「バー・ブタオのハイドンって男はね」 vol.2出世街道あけぼの編[公演情報]
ハイドン没後 200年記念 ハイドン・イヤー最大級のプロジェクト!! 新日本フィルハーモニー交響楽団 フランス・ブリュッヘン・プロデュース  “ハイドン・プロジェクト”ロンドン・セット全曲演奏会

新日本フィルハーモニー交響楽団 フランス・ブリュッヘン・プロデュース “ハイドン・プロジェクト”ロンドン・セット全曲演奏会 第9回目は前回に続きブタオ・ママによるハイドンという男とは?出世編のお話です!

ブタオ・ママ:「いらっしゃ〜い。バー・ブタオへようこそ。え、先週の続き?そうね、じゃあ…今日は彼がまだ若い頃から、 そのときの話ね。ハイドンはね、もちろん優れた音楽家だったけれど、実は敏腕・中間管理職でもあったのよ。 今で言うとね、えーと誰かしら、島耕作?サラリーマン金太郎?ちょっと違う?とにかく、デキるやつで、部下の人望も 厚かったのよ。おかげでドンドコ出世していったわ・・・ああいうのは今、現代に必要な人材かもしれないわね。」

というわけで、今回は男ハイドンの出世人生・あけぼの編です!



“ストリート・ミュージシャン”から出世街道を駆け上がる

ブタオ・ママ:
「最初はね、流しのミュージシャンをやってたのよ。当時、帝都ウィーンはハンガリーとかあちこちからいろんなカルチャーが 集まる人種のるつぼだったのね。そこには流しのミュージシャンもたくさんいて、その労組みたいなのが演奏の場所取りとかを 仕切ってたの。各バンドは自分たちの儲けから何%かをその労組に支払うんだけど、必然的に人気の高いバンド=払いの多いバンドは その組織の中で力を持つようになるのね。ハイドンのバンドは、瞬く間に高い人気を獲得したの。 組織でも力を持つようになったハイドンは、事実なかなかの腕利きで、対人の交渉術にも長けてたのね。 若い有能なバンドがいれば声をかけたり世話したりして、次第に信頼と注目を集めるリーダーに成長していったのよ。 彼は小さい頃から親元を離れて、大人との付き合いが多かったから、ハイドンは自立が早かった。そうして社会でもまれた経験が、 処世術に長けた理由かもしれないわね。それにね、彼には人生哲学があったの。 それは、「絶対に文句を言わない。運命として全てを受け入れコツコツ努力していく」 ってこと。 これを彼は貫徹したのよ。言うのは簡単。やっぱりたいしたものよねえ。

さて、それで流しバンドはたとえば貴族の邸宅沿いの道なんかで演奏するわけ。そうすると、窓の下から聞こえてくる音楽に 「あら、今日のバンドはずいぶん上手ね!」なんてところから噂になって、そのうち「今日の晩餐会、誕生日だから演奏に 来て頂戴」なんてオファーをもらって、貴族のお屋敷に出入りできるようになるのね。こうなったらしめたものよ。 ハイドンのバンドもこの流れで貴族社会で名を知られるようになって、後にケラー家(前回話した「妻」の実家ね、資産家だったの)との 関係につながるの。この頃の作品で今でも楽譜に残ってるのがあるわよ。弦楽四重奏の作品1の6曲、2の4曲がこれにあたるわね。



生来の性格?
イタズラ好きで憎めないあんちくしょう


ブタオ・ママ:
そうそう、この頃のエピソードで、彼らしい話があるわね。おそらく昼間に、近くに住む貴族に侮辱を受けたのか何かしたんでしょう。 雪辱を晴らそうと思ったハイドンは、深夜三時頃、自分の息のかかったバンドをティーファーグラーベンっていう当時の下町エリアに集めたの。 それでね、草木も眠る夜中にね、ハイドンの合図で一斉に大っ音量でドッカーンと演奏して、即逃げたのよ!!傑作!! でもね、運悪く2人が捕まったのよ、大きい楽器、コントラバスとティンパニの子が(笑)。でも二人とも、最後までバンマスのハイドンのことは 言わなかったのよ!!偉いわよねえ、口を割らなかったの。やっぱりハイドンって若い頃から人望のある奴だったのよ。いい話でしょ。

もともと、相当のイタズラ好きだったのね。告別シンフォニー(※)でもわかるでしょう?ハイドンの音楽には、こういうウィットに富んだ「仕掛け」が 実はたっくさんあるのよね。だいたい、流れ生活に陥ったのもこのイタズラ好きが原因なのよ。生家から遠く離れたウィーンで、今のウィーン少年合唱団の 前身に所属していたんだけど、その寄宿舎から追い出されたのはね。そのころ、寄宿舎にはかわいいオサゲの男の子がいてね、イタズラ好きだったハイドンは、 ある日そのオサゲをあろうことかプツンと切ったのよ!とんでもない悪ガキだわ~~。ハイドンはすでに声変わりし始めてて合唱団からいつ追い出そうかと 思われてたときでね、これがきっかけであっさりシュテファン寺院から追い出されたってわけ。後先考えないのよ、これだから男はカワイイんだけど。

※交響曲第45番「告別」。最終楽章、次第に楽器が減り演奏者が出ていき、最後に残るのはたった2人だけ!家族と離れ主君エステルハージ候に仕える楽団員たちが、 「単身赴任」期間を延長されたことに不満を訴え、その気持ちを主君に伝えるためにこの曲を作曲した、といわれています。 今年のウィーン・フィル・ニューイヤー・コンサートでもこの演出で演奏されてましたね。

そしてエステルハージ家の敏腕・中間管理職へ

ブタオ・ママ:
貴族の間で次第に有名になっていったハイドンは、モルツィン家の楽長を経て、1761年エステルハージ家の副楽長に就任したわ。 これで破格な給料と生活の安定を得たの。当時の楽長はじいさんで、あまり才能もない人だった。以降ハイドンは、 あらゆる業務管理−対人関係のトラブルから、各楽団員の出番、リハーサルのスケジュール管理なども一手に引き受ける、事実上のNO.1になったわ。 え?対人関係のトラブルって何かって?つまりね、みんな単身赴任の期間が長いから、何かっていうとイライラするのよ、さびしいのよ。 それでオーケストラ内では年中争いや小競合いが絶えなかったわけ。そんな中で、中間管理職としてもハイドンは持ち前の才能を発揮したの。 ハイドンを妬む粘着質な楽団長からの嫌がらせにも耐えて、楽団員同士の喧嘩の仲裁に入って、示談で済むよう穏便に解決したり (ケガさせたなんてバレたら即クビよ)、じつは「社内恋愛禁止」だったエステルハージ家のオーケストラ内で、主君を説得して例外的に 結婚までもっていってあげたり…。様々な人達が一つの世界に“共存する”、そのための才覚に本当に長けていた。 そんなわけで、頼れるリーダーとして人望も厚くて、オーケストラ中から愛されたのよ。そう、“パパ・ハイドン”というのが彼の愛称だったわね。 この殺伐とした現代にも、必要なんじゃないかしら?『上司にしたい男No.1』だわね。 そして1766年、楽団長が亡くなったことで彼は正式に楽団長の座についたのよ。こうして、安定した生活と手元に自由になる実験場=オーケストラを得て、ハイドンはどんどん個性的な傑作を世に生み出していくことになるのよ。“ロンドン・セット”は、その中でも特筆すべき作品ね。なんせ、才能あふれる籠の中の鳥が十分に下地を蓄えたあと、新しい世界でたっくさんの刺激を受けて存分に楽しんで創作に打ち込んだ産物なんだから。・・・(略)

バー・ブタオ(Bar Butao)
この番組は2ndヴァイオリン奏者:篠原英和の監修でお送りします。
★篠原英和(しのはら・ひでかず)通称ブタオさんと呼ばれております。
室内楽のプレトークで活躍中。

<次回はいよいよ「ロンドン編」です。 お楽しみに!!>


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2009-02-05 22:57 この記事だけ表示
 
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