<特別連載>ニコラウス・アーノンクール&ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス伝説 ―音楽の真実へ[公演情報]

 今秋、ついに最後の来日を果たす巨匠アーノンクールとウィーン・コンツェントゥス・ムジクス。彼らの来日公演に向けてこの唯一無二のコンビと、アーノンクールの目指した音楽について皆様に紹介していきたいと思います。
 数回に分けた連載の中では、アーノンクールの貴重なインタビュー画像も登場予定!
ぜひご期待ください!

KAJIMOTO


今日における世界最高峰の指揮者の一人、ニコラウス・アーノンクールが目指した理想のアンサンブル――


それまでコレクターの倉庫にしまわれていただけの“骨董品”たちを発掘(ときには修繕)、これらを素晴らしいピリオド(古)楽器として蘇らせ、当時の響きの再現に努め続けた演奏者たち――


そして、この“古楽”というジャンルを今日の位置まで押し上げた伝説的アンサンブル――


それがウィーン・コンツェントゥス・ムジクス(CMW)である。


T.誕生 〜まずは楽器を探す旅へ…

“音楽が響き合う”〜コンツェントゥス・ムジクス
「コンツェントゥス・ムジクス」の語源は、オーストリア・バロック音楽の巨匠ヨハン・ヨーゼフ・フックスの作品群「コンツェントゥス・ムジコ・インストゥルメンタリス」になぞらえている。
「音楽が響き合う」ことを意味するこの名前は、アーノンクールが目指す、「音楽の対話」にとって必要不可欠な名前であるように思える。彼の言葉を借りれば、18世紀以前における音楽の位置づけは、今日における“綺麗なメロディ”では決してなく、音を用いた“哲学的対話”であったのである。(現代の感覚では考えにくいだろうが、時代によっては、音楽は、例えば数学や天文学などと結びついてとらえられていたこともあった)

1953年アーノンクール家の一室で産声をあげたコンツェントゥス・ムジクス
今から50年以上も前の1953年春、将来を約束されたヴァイオリン奏者であるアリス・ホッフェルナーと結婚したアーノンクールは、その年の秋、数人の仲間たちとともに、古楽についての研究を始める。このときアーノンクール夫妻の家の一室で、後に世界中に知られる世界一の古楽アンサンブルとなる演奏団体が産声をあげたのだ。

1952年〜69年ウィーン交響楽団のチェロ奏者として…
またその前年、ウィーン交響楽団のチェロ奏者に就任していたアーノンクールは、その楽団の仕事で定収入を得るほか、素晴らしい指揮者たちと共演した。それは、ブルーノ・ワルター、クレメンス・クラウス、オットー・クレンペラー、そして、ヘルベルト・フォン・カラヤンとの時代であり、1969年までの17年の間に彼はオーケストラのチェロ奏者としてだけでなく、後に自らが務めることになる、指揮者というものがいかなるものかということを体感したのである。

コンツェントゥス・ムジクスの最初の仕事は、楽器集めだった!
曲が作曲された当時の楽器――ピリオド(古)楽器を使用する、という彼らのアプローチは現実的には大変な困難を極めた。なにせ、それはそれまでどこかの貴族の家に眠っていた楽器をひとつひとつ譲ってもらい、これらの楽器の演奏方法(現代の楽器とは違っている)を研究していく、という途方もない作業だったかからである。ときにはピリオド(古)楽器がオークションに出されることもあり、当時既に顔の知られていたアーノンクールや、妻のアリスが競売に参加すると値が上がってしまうという理由で、顔の知られていない仲間がこっそり競り落とすということも普通であったらしい。こうした楽器探しの旅は実に忍耐強く続けられ、その成果によりCMWはそれによって少しずつ編成・レパートリーを拡大していったのである。


長文、最後までお読みいただき、ありがとうございます!
次回はCMWが誇る驚異的なアンサンブル力の秘密に迫ります!
それでは、暑さに負けず素敵な夏をお過ごしください。




2010-08-17 20:11 この記事だけ表示
 
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