≪スターバト・マーテル≫を巡るエトセトラ 「東京のオペラの森」[公演情報]

 華麗な声を全身に浴びてエクスタシーを味わいたい――なんて、オペラの魅力のツボにいちどハマってしまった人なら、そう願うのではないだろうか。 磨き抜かれた声の流麗な響きと名技をたっぷり楽しめるオペラといえば、私の場合、真っ先に思い浮かぶのが、ベッリーニの《清教徒》だ。

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グリージ(ソプラノ)、ルビーニ(テノール)、タンブリーニ(バリトン)、ラブラシュ(バス)という、初演された1835年当時、最高で、今もって伝説となっている歌手たちを前提に書かれたこのオペラは、でも残念ながら、よほど歌手に力がないと歌いこなせず、なかなか上演されないので……。えっ、宗教音楽の話のはずが、なんでこんな話を始めたかって?
 実は、上記のグリージとタンブリーニは、ロッシーニの《スターバト・マーテル》の初演歌手だし、しかも、初演(1942年)の場所も、聖堂じゃなくて、《清教徒》と同じパリのイタリア劇場。れっきとしたオペラハウスなのである。
 いやいや、実際に聴いても、第2曲テノールのアリアで、流麗な旋律に釘づけになり、第3曲ソプラノとメッゾ・ソプラノの官能的なデュエットで、心底うっとりとさせられる。第4曲バスのアリアは力強い低音を全身に浴びられるし、第7曲メッゾのカヴァティーナは悲痛な祈りに心を掻きむしられて、第8曲ソプラノのアリアはオペラのクライマックスのようにドラマティック。終わってみればすっかり陶酔してしまって、腰が上がらない。まさに、上等なオペラを聴いたときの感興そのもの、いや、ある意味、それ以上かも。だって、聴きどころになるアリアや重唱ばかりが、これでもかと並んでいるのだ。
 だから初演のときも、自由な気持ちで聴いた人はすっかり心を奪われて、熱狂的に迎えた一方で、頭でっかちの人からは、やれ官能的だとか、やれ優美にすぎるとか、やれ宗教音楽の伝統を犯すものだとか、散々こき下ろされもした。でも、それも当然というか、ロッシーニは、この「悲しみに沈んだ聖母」を描いた詩に、人間のドラマを見出したから、オペラハウスでオペラ歌手が歌う前提で曲を書いたのだ。当時のキリスト教“原理主義者”からすれば、ケシカランと思えたのもわからないではないけれど、今日、われわれ“異教徒”が聴くには、こんなにうれしいことはない。
 もちろん、ロッシーニはオペラを書くときとは違った様式で書いているから、安易に“オペラ的”なんて言うと、天国のロッシーニに怒られちゃうかもしれないけれど、全曲にあふれる美しすぎる旋律を味わう喜びは、まさにイタリア・オペラを聴く醍醐味と重なるのである。

 ただし……、《清教徒》と同じで、よっぽど歌手が揃わないと、立派な演奏にはならない。申しわけないようだが、私はペーザロのロッシーニ・オペラ・フェスティバルで、上等な《スターバト・マーテル》を何度も聴いているけれど、それでも、4つのパートすべてに立派な歌手が揃うことは、なかなかない。「あんな歌手が歌ってくれたらなあ」と思うことのほうが多いかな。
“あんな歌手”とは、美しい響きとベルカントの華麗な声楽テクニックを兼ね備え、なおかつ、実際にロッシーニを歌いこんでいる人。たとえば、ソプラノなら可憐な声と超絶技巧が同居したエヴァ・メイ、メッゾ・ソプラノなら当代きってのロッシーニ・メッゾ、ダニエラ・バルチェッローナやソニア・ガナッシ、テノールはファン・ディエゴ・フローレスや、流麗で気品があるジュゼッペ・フィリアノーティ、バスなら端整でスタイリッシュなイルデブランド・ダルカンジェロやミケーレ・ペルトゥージ……。が、ちょっと、一流どころを挙げすぎたか、という気がしないでもない。
 だから、私は「オペラの森」のキャストが発表されたとき、腰を抜かすくらい驚いたのだ。だって、ソリストがメイとバルチェッローナとフィリアノーティとダルカンジェロですよ。全員、上記の中にいるじゃないですか!

   
エヴァ・メイ            ダニエラ・バルチェッローナ

   
イルデブランド・ダルカンジェロ   ジュゼッペ・フィリアノーティ          


 が、ソリストだけじゃだめ。古典的な静謐さとロマンティックな激情が同居したようなこの曲を、引き締めながらもエネルギーを引き出しつつ演奏できる指揮者が不可欠だ。すると、リッカルド・ムーティ以上の適材はいない。というわけで、この《スターバト・マーテル》、すごいことにならないことは、あり得ないのである。

 一方、ヴェルディの手になる《スターバト・マーテル》は、この大作曲家の、文字どおり最後の作品。“天才型”ロッシーニと対照的な“成長型”ヴェルディの面目躍如たるのは、まさに練り上げられ、磨きこまれた表現とオーケストレーションだ。ロッシーニのものと違って、歌詞は混声4部合唱が受け持っていて、反復を避けているので十数分であっという間に終わってしまうけれども、静かな祈りと、まるでオペラの幕を閉めるかのような荘厳な合唱が同居して、これまた(ヴェルディに怒られるかな?)、ロッシーニとは別の意味でオペラティックな感興に浸れること、請け合いである。
 これにわずかに先立って書かれた《テ・デウム》もそう。最後、ソプラノの声がディミヌエンドして消えていくところなど、晩年のヴェルディの静謐な心を追体験するかのように感動的だ。最後の最後まで成長を遂げたヴェルディがたどり着いた高みを味わえるのは、実は、《オテッロ》よりも《ファルスタッフ》よりも、これら2作と言ってもいいのかもしれない。
 が、それもやっぱり、繊細で劇的で、かつ気品をもって演奏されないと台無しだが、なんと言ってもムーティ! 2曲合わせて30分余りの演奏時間のなかで、ヴェルディの芸術の到達点を余すところなく味わわせてくれるはずだ。

香原斗志(かはら・とし)◎音楽ジャーナリスト

 

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