ゲルギエフの十八番づくしで、ロシア・オペラの魅力を骨の髄まで味わう。これぞマリインスキー・オペラの頂点![公演情報]

 ゲルギエフ率いるマリインスキー・オペラの来日公演は、かれこれ6回目になるはずだが、今回はこれまでの頂点になるのではないだろうか。と言うのも、このラインナップ、熱演が「期待されている」以上に「約束されている」と言えるものばかりだからだ。なんといっても、“カリスマ”ゲルギエフの十八番ばかりだから。

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 なにゆえ“カリスマ”か、今さら説明も要らないだろうが、私の体験からこんな例をひとつ。2002年のワシントン・オペラの来日公演で、彼がたった一晩だけ来日してヴェルディの《オテッロ》を指揮し、翌日にはとんぼ返りする、という企画があった。私は違う日に別の指揮者で鑑賞していて、ドミンゴが立派に歌ってくれたので感動したけれど、オーケストラについては「まあまあかな」という感想だった。その後、幸いにもゲルギエフが振る日のチケットも舞い込んできて、もちろん行ったのだが、いやはや、のっけからオケの音がまったく違うじゃないですか。輝かしく、重厚で、縦の線がピタッと揃い、すさまじい劇的集中力でドラマを推進していく。呆気にとられると同時に、しばらく動けないほど感動に打ちのめされてしまった。同じオケを振っても、しかも、ほとんどリハーサルをしていなくても、これほどの熱演を披露してしまう。それこそがカリスマの技というものだろう。
 とは言っても、カリスマとて人間。今日はマリインスキーで、明日はウィーン・フィル、あさってはMET、というのがあながち極端ではないほど殺人的スケジュールで活動しているゲルギエフだから、ときにリハーサル不足を指摘されることもある。だが、今回の来日公演のように、彼の手勢と一緒に、何度も演奏してきた十八番を振るとなれば、どう転んだって失敗のしようがない。

 ただし――。並んだ4つの作品に、あまり馴染みがないという人もいることだろう。そりゃそうだ。日本では上演機会が少ない作品ばかりなのだから。が、ご存じのとおり、魅力的な音楽の土壌に、世界に冠たるロシア近代文学の精神を接いだロシア・オペラが、おもしろくないはずがない。ロシア独特の歌唱法の難しさなどもあって、一般に上演は簡単ではないが、なにしろ、そういう歌唱法を生んだ本家本元のマリインスキー・オペラなのだ。他所での困難がそのまま利点になってしまうのである。

 


華やかな旋律がたっぷりの華麗な絵巻物《イーゴリ公》

 まずはボロディンの《イーゴリ公》。中世ロシアの叙事詩『イーゴリ軍記』を題材に、侵攻してきたコンチャック率いる遊牧民ポロヴェツ人と勇敢に戦うイーゴリ公を描いていて、言ってみれば、襲撃してきた蒙古と戦った北条時宗みたいなもの(元寇のように神風は吹かなかったが)。物語が起伏に欠けるところはあるけれど、イタリアのロマンティックなオペラに馴染んでいる人なら、どっぷりと浸かれるはず。ボロディンはロシア的な音楽を意識しつつも、伝統的な旋律を壊さず、むしろ華やかな旋律を十分に盛り込んで、それこそ声をたんまりと聴かせる。まるで華麗な絵巻物のようだ。
 敵に囚われたイーゴリ公の独白は涙を誘い(ヴェルディを思い出す)、その息子と敵将の娘との二重唱はこのうえなくロマンティック。ポロヴェツ人の踊りと合唱は日本でも「韃靼人の踊り」として親しまれている旋律だが、壮麗、壮麗。印象的な合唱も満載で、マリインスキーのオーケストラと合唱の力がフルに活きるはずだ。
 ところで、ボロディンは作曲に18年もかけながら、1887年、完成させる前に死んでしまった。だから、リムスキー=コルサコフが完成させた楽譜で初演されたのだが、今回上演されるのは、よりボロディンの意図に近づけるため、一部演奏順序を入れ替えるなどした「マリインスキー版」が使用される。さすが、こだわりの人、ゲルギエフである。

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歴史劇《ホヴァーンシチナ》の雄渾さを味わう

 ムソルグスキー《ホヴァーンシチナ》も歴史ものだ。17世紀末、ロシアの近代化を図るピョートル大帝に、ホヴァーンスキー公らが謀反を起こした史実が題材で、ホヴァーンシチナとはホヴァーンスキー事件という意味。この手の歴史ものは、ヴェルディ作品でお馴染みという人が多いのではないか。
 実際、これもヴェルディなどと同じような楽しみ方ができる部分が結構あるのだ。たとえば、気品のある旋律がたっぷり歌われるのを味わえるという点。バス、バリトンの低声に聴きどころが満載なところも似ている。第3幕で大貴族シャクロヴィートゥイが祖国を憂えて歌う場面なんて、涙うるうるものだ。もちろん、旧教徒の娘マルファの独白など、女声の聴きどころも少なくない。ゲルギエフがオケをおおいに煽って聴かせてくれるだろう。もっとも、ムソルグスキーは印象主義や表現主義といった現代音楽の先駆ともみなされている。リアリズムを意識し、伝統的な繰り返しなどは拒否し、斬新な管弦楽法を取り入れている。まさに、ゲルギエフとマリインスキーのオケの雄弁さ、精緻な力強さが活きることだろう。ところで、ムソルグスキーも作品が未完のまま1881年に死んでしまい、リムスキー=コルサコフが完成させたが、原型をあまり留めていなかったため、のちにショスタコーヴィチが新たな版を作った。上演されるのは、それを土台にした「マリインスキー版」。やはり、こだわっています。

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いろんな楽しみが満載《3つのオレンジへの恋》

 一方、プロコフィエフの《3つのオレンジへの恋》は、リアリズムとは正反対のファンタジーだ。1921年の初演だから、「ああ、いわゆる現代音楽か」と思うかもしれない。が、《ヴォツェック》などとは、良くも悪くも、似ても似つかない。ごく簡単に言うと、憂鬱症の王子が魔法使いのもとに3つのオレンジを見つけに行き、オレンジのひとつから王女が現れる、という話で、原作は18世紀ヴェネツィアの劇作家ゴルドーニ。ピンと来ないかもしれないが、あの《トゥーランドット》の原作者である。しかもゴルドーニは《3つのオレンジ》を書いた翌年(1762年)に《トゥーランドット》を完成させたのだが、オペラの方も、プロコフィエフが《3つのオレンジ》を完成させた年には、まさにプッチーニが《トゥーランドット》の作曲の真っ只中。この奇妙なまでの時期の符合に、はなはだ興味をそそられないだろうか。
 プロコフィエフは劇の進行を妨げるアリアを嫌い、“映画的なテンポ”を意識して作曲したのだが、案外、旋律もリズムも伝統を引きずっている。それが結果的に幸いして、このファンタジーが無機的にならず、かといってメロドラマにも陥らず、絶妙の洒落た音楽に仕上がっているのだ。片や、近代的オーケストレーションを相当に意識しながら、同時に伝統の旋律にもこだわったプッチーニの。片や、伝統から抜け出そうとして抜け出せ切れなかったプロコフィエフ。それぞれ、いいところで落ち着いた。ほかにも、道化と一緒に試練の旅に出る王子など、《魔笛》を思わせるシチュエーションもあちこちに。そんな“探索”の楽しさもある。
 もちろん、いろんな楽しみが見つかるのも、ゲルギエフとマリインスキーの色彩的で、しかも明晰な音があってこそだけれど。

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名歌手せいぞろい《ランスへの旅》



 最後に、ロッシーニ《ランスへの旅》。フランス国王シャルル10世の戴冠式のために作られた、いわば機会作品で、ランスで行われる戴冠式に行こうとする各国の名士が“金の百合亭”に集まってドタバタを繰り広げるという、他愛もないストーリーだ。が、この作品の真骨頂はなんと言っても、14人ものソリストが登場し、ベルカントのさまざまな技巧が満載のアリアや重唱を次々に歌う点だ。それは並みのガラ・コンサートが100回分束になっても敵わない、というほどに豪華なもの。これまで、世界中の一流歌劇場で引っ張りだこの名歌手を続々と輩出してきたマリインスキー劇場が、今後に期待できる歌手をズラリと並べてくるというから、これはちょっと聴き逃せない。
 もっとも、上等なシャンパーニュの泡立ちのように軽妙洒脱なロッシーニの音楽を、深く、骨太な音楽作りに定評があるゲルギエフがどうさばくのか。正直言って見当がつかない。しかし、だからこそおもしろいのだ。毎夏、イタリアのペーザロでロッシーニ三昧している私だから、中途半端なロッシーニは許せないが、ゲルギエフとなると、今まで全然気づかなかったロッシーニの隠れた魅力が浮き彫りになるのではないかと、俄然楽しみになるのである。

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 これらの作品の魅力を骨の髄まで味わえる機会は、これが最後かもしれない。なにしろ、ロシア・オペラの魅力がじゅうぶんに花開くためには、ロシア・オペラ独特の発声と美しいロシア語が欠かせない。加えて、ロシアの大地を思わせる、うなるような管弦楽と合唱も。だから聴き(観)逃せないのだが、聴いた(観た)のちにハマッてしまっても、次に同じ作品で同じ感動を得るのがきわめて難しそうな点が困ったことだ。

香原斗志(かはら・とし)◎音楽ジャーナリスト



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