『第25回名古屋クラシックフェスティバル』 特集 ▼特集ページはこちらから!
2007-05-02 15:43 この記事だけ表示

>>チケットの詳細・申込

>>『ソヒャンの結婚』特集ブログはこちら

私は、日本と韓国の文化交流がまたひとつ増えることをとてもうれしく思っています。オペラの分野では、一昨年に日本の創作オペラ「夕鶴」が韓国で初めて上演されました。今度は、韓国の創作オペラが日本で初上演されるのです。関係者の意気込みが手に取るように私にもわかります。


さて、韓国のオペラといってもちょっとなじみが薄いかもしれませんけれど、この国立オペラ団は45年の歴史があります。世界の名作を紹介し、著名な演出家や歌手を招聘する一方、韓国の伝統に根付いた創作オペラを上演してきました。また、団が擁する歌手やスタッフの多くはオペラの本場の西洋で実力が高く評価され、世界的な活動をしています。今回の演目は「ソヒャンの結婚」というタイトルからもわかるように結婚が題材です。結婚をキーワードにしたオペラを自分なりに調べてみたらたくさんありました。結婚がキーワードのオペラで最も有名なのはモーツァルトの「フィガロの結婚」ですね。ほかにもロッシーニの「結婚手形」、ベルリーニ「夢遊病の女」、ドニゼッティ「連隊の娘」などがあるように、テーマとしてはポピュラーです。

韓国では親子や家族の愛や絆はとても大切です。でもそこには、伝統的なしきたりと現実のギャップなどの今日的な問題点があることも事実です。この「ソヒャンの結婚」を通じて、韓国の文化や風土の一旦を感じていただけるかもしれません。韓国でもオペラは、特別なワクワクする体験です。

「ソヒャンの結婚」がどういう展開でどんな結末を迎えるのでしょうか。韓国国立オペラ団の関係者が全力投球するこの作品がお気に召して、「ブラボー!」と声を出していただけたら最高です。私が日本の皆さんが贈ってくださる熱い声援や拍手にいつも胸を熱くしているのと同様に、ステージ上の出演者が感激している様子が目に浮かぶようです。


■PROFILE
 リュ・シウォン
1972年生まれ。韓国出身。日本では地上波で「美しき日々」、「真実」などの人気ドラマが放送されたのをきっかけに、ファンが急増。2006年には主演ドラマ「ウェディング」も放送され、歌手としても「桜」「秋桜」などの曲でヒットを連発。2007年4月には5thシングル「BABYLON」、5月には4thアルバム「With You」を発売し、また6月には神戸、愛知、埼玉でのコンサートも決まっている。2006年から2年連続で「日韓観光広報大使」も務める。

 

RyuSiwon オフィシャルファンクラブ

www.ryusiwon.jp

★ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団

真のドイツ音楽の伝統の継承者として、ヨーロッパで絶大なる人気を誇るティーレマン。
今回の来日公演では彼が最も得意とし、かつミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団の伝統を生かした曲目を披露。ミュンヘン・フィルの特色でもある重厚かつ荘厳な響きを存分に堪能できる内容となりました。詳しくは特集ページでどうぞ!

▼特集ページへはこちらから。

>>チケットの詳細・申込


★ホセ・カレーラス≪テノール・リサイタル≫

大テノールの1人として世界的な人気を保持し続けるホセ・カレーラスが
盟友ロレンツォ・バヴァーイのピアノで贈る≪テノール・リサイタル2007≫。
ファルヴォ「彼女に告げて」タリアフェッリ/ヴァレンテ「パッショーネ」など、
ホセ・カレーラスならではの選曲で、観客を陶酔の世界へ誘ってくれること間違
いなしです。

▼特集ページへはこちらから。

>>チケットの詳細・申込


★東京交響楽団 ≪ちょっとセレブにクラシックの夕べ≫

指揮=飯森範親、ピアノ=及川浩治、司会に中井美穂を迎えて贈る素敵なコンサート。
ワーグナー:楽劇「マイスタージンガー」第1幕への前奏曲、ベートーヴェン:
交響曲第7番〜第1楽章、J.シュトラウスU:美しき青きドナウ、ガーシュイン
:ラプソディ・イン・ブルー、ラヴェル:ボレロなど、耳に馴染み深い名曲の数々を贈ります。
クラシック音楽の魅力がぎゅっと詰まっています、クラシック音楽初体験の方も楽しめること間違いなしです。

>>チケットの詳細・申込

『ミュンヘンフィル・ハーモニー管弦楽団』 特集

写真左:(C)KASSKARA/DG 右:(C)Munchner Philharmoniker

>>チケットの詳細・申込はこちらから

▼特集ページはこちらから

 ゲルギエフ率いるマリインスキー・オペラの来日公演は、かれこれ6回目になるはずだが、今回はこれまでの頂点になるのではないだろうか。と言うのも、このラインナップ、熱演が「期待されている」以上に「約束されている」と言えるものばかりだからだ。なんといっても、“カリスマ”ゲルギエフの十八番ばかりだから。

>>チケットの詳細・申込は、こちらの特集ページからどうぞ!

 
 なにゆえ“カリスマ”か、今さら説明も要らないだろうが、私の体験からこんな例をひとつ。2002年のワシントン・オペラの来日公演で、彼がたった一晩だけ来日してヴェルディの《オテッロ》を指揮し、翌日にはとんぼ返りする、という企画があった。私は違う日に別の指揮者で鑑賞していて、ドミンゴが立派に歌ってくれたので感動したけれど、オーケストラについては「まあまあかな」という感想だった。その後、幸いにもゲルギエフが振る日のチケットも舞い込んできて、もちろん行ったのだが、いやはや、のっけからオケの音がまったく違うじゃないですか。輝かしく、重厚で、縦の線がピタッと揃い、すさまじい劇的集中力でドラマを推進していく。呆気にとられると同時に、しばらく動けないほど感動に打ちのめされてしまった。同じオケを振っても、しかも、ほとんどリハーサルをしていなくても、これほどの熱演を披露してしまう。それこそがカリスマの技というものだろう。
 とは言っても、カリスマとて人間。今日はマリインスキーで、明日はウィーン・フィル、あさってはMET、というのがあながち極端ではないほど殺人的スケジュールで活動しているゲルギエフだから、ときにリハーサル不足を指摘されることもある。だが、今回の来日公演のように、彼の手勢と一緒に、何度も演奏してきた十八番を振るとなれば、どう転んだって失敗のしようがない。

 ただし――。並んだ4つの作品に、あまり馴染みがないという人もいることだろう。そりゃそうだ。日本では上演機会が少ない作品ばかりなのだから。が、ご存じのとおり、魅力的な音楽の土壌に、世界に冠たるロシア近代文学の精神を接いだロシア・オペラが、おもしろくないはずがない。ロシア独特の歌唱法の難しさなどもあって、一般に上演は簡単ではないが、なにしろ、そういう歌唱法を生んだ本家本元のマリインスキー・オペラなのだ。他所での困難がそのまま利点になってしまうのである。

 


華やかな旋律がたっぷりの華麗な絵巻物《イーゴリ公》

 まずはボロディンの《イーゴリ公》。中世ロシアの叙事詩『イーゴリ軍記』を題材に、侵攻してきたコンチャック率いる遊牧民ポロヴェツ人と勇敢に戦うイーゴリ公を描いていて、言ってみれば、襲撃してきた蒙古と戦った北条時宗みたいなもの(元寇のように神風は吹かなかったが)。物語が起伏に欠けるところはあるけれど、イタリアのロマンティックなオペラに馴染んでいる人なら、どっぷりと浸かれるはず。ボロディンはロシア的な音楽を意識しつつも、伝統的な旋律を壊さず、むしろ華やかな旋律を十分に盛り込んで、それこそ声をたんまりと聴かせる。まるで華麗な絵巻物のようだ。
 敵に囚われたイーゴリ公の独白は涙を誘い(ヴェルディを思い出す)、その息子と敵将の娘との二重唱はこのうえなくロマンティック。ポロヴェツ人の踊りと合唱は日本でも「韃靼人の踊り」として親しまれている旋律だが、壮麗、壮麗。印象的な合唱も満載で、マリインスキーのオーケストラと合唱の力がフルに活きるはずだ。
 ところで、ボロディンは作曲に18年もかけながら、1887年、完成させる前に死んでしまった。だから、リムスキー=コルサコフが完成させた楽譜で初演されたのだが、今回上演されるのは、よりボロディンの意図に近づけるため、一部演奏順序を入れ替えるなどした「マリインスキー版」が使用される。さすが、こだわりの人、ゲルギエフである。

  >>チケットの詳細・申込


歴史劇《ホヴァーンシチナ》の雄渾さを味わう

 ムソルグスキー《ホヴァーンシチナ》も歴史ものだ。17世紀末、ロシアの近代化を図るピョートル大帝に、ホヴァーンスキー公らが謀反を起こした史実が題材で、ホヴァーンシチナとはホヴァーンスキー事件という意味。この手の歴史ものは、ヴェルディ作品でお馴染みという人が多いのではないか。
 実際、これもヴェルディなどと同じような楽しみ方ができる部分が結構あるのだ。たとえば、気品のある旋律がたっぷり歌われるのを味わえるという点。バス、バリトンの低声に聴きどころが満載なところも似ている。第3幕で大貴族シャクロヴィートゥイが祖国を憂えて歌う場面なんて、涙うるうるものだ。もちろん、旧教徒の娘マルファの独白など、女声の聴きどころも少なくない。ゲルギエフがオケをおおいに煽って聴かせてくれるだろう。もっとも、ムソルグスキーは印象主義や表現主義といった現代音楽の先駆ともみなされている。リアリズムを意識し、伝統的な繰り返しなどは拒否し、斬新な管弦楽法を取り入れている。まさに、ゲルギエフとマリインスキーのオケの雄弁さ、精緻な力強さが活きることだろう。ところで、ムソルグスキーも作品が未完のまま1881年に死んでしまい、リムスキー=コルサコフが完成させたが、原型をあまり留めていなかったため、のちにショスタコーヴィチが新たな版を作った。上演されるのは、それを土台にした「マリインスキー版」。やはり、こだわっています。

 >>チケットの詳細・申込


いろんな楽しみが満載《3つのオレンジへの恋》

 一方、プロコフィエフの《3つのオレンジへの恋》は、リアリズムとは正反対のファンタジーだ。1921年の初演だから、「ああ、いわゆる現代音楽か」と思うかもしれない。が、《ヴォツェック》などとは、良くも悪くも、似ても似つかない。ごく簡単に言うと、憂鬱症の王子が魔法使いのもとに3つのオレンジを見つけに行き、オレンジのひとつから王女が現れる、という話で、原作は18世紀ヴェネツィアの劇作家ゴルドーニ。ピンと来ないかもしれないが、あの《トゥーランドット》の原作者である。しかもゴルドーニは《3つのオレンジ》を書いた翌年(1762年)に《トゥーランドット》を完成させたのだが、オペラの方も、プロコフィエフが《3つのオレンジ》を完成させた年には、まさにプッチーニが《トゥーランドット》の作曲の真っ只中。この奇妙なまでの時期の符合に、はなはだ興味をそそられないだろうか。
 プロコフィエフは劇の進行を妨げるアリアを嫌い、“映画的なテンポ”を意識して作曲したのだが、案外、旋律もリズムも伝統を引きずっている。それが結果的に幸いして、このファンタジーが無機的にならず、かといってメロドラマにも陥らず、絶妙の洒落た音楽に仕上がっているのだ。片や、近代的オーケストレーションを相当に意識しながら、同時に伝統の旋律にもこだわったプッチーニの。片や、伝統から抜け出そうとして抜け出せ切れなかったプロコフィエフ。それぞれ、いいところで落ち着いた。ほかにも、道化と一緒に試練の旅に出る王子など、《魔笛》を思わせるシチュエーションもあちこちに。そんな“探索”の楽しさもある。
 もちろん、いろんな楽しみが見つかるのも、ゲルギエフとマリインスキーの色彩的で、しかも明晰な音があってこそだけれど。

  >>チケットの詳細・申込


名歌手せいぞろい《ランスへの旅》



 最後に、ロッシーニ《ランスへの旅》。フランス国王シャルル10世の戴冠式のために作られた、いわば機会作品で、ランスで行われる戴冠式に行こうとする各国の名士が“金の百合亭”に集まってドタバタを繰り広げるという、他愛もないストーリーだ。が、この作品の真骨頂はなんと言っても、14人ものソリストが登場し、ベルカントのさまざまな技巧が満載のアリアや重唱を次々に歌う点だ。それは並みのガラ・コンサートが100回分束になっても敵わない、というほどに豪華なもの。これまで、世界中の一流歌劇場で引っ張りだこの名歌手を続々と輩出してきたマリインスキー劇場が、今後に期待できる歌手をズラリと並べてくるというから、これはちょっと聴き逃せない。
 もっとも、上等なシャンパーニュの泡立ちのように軽妙洒脱なロッシーニの音楽を、深く、骨太な音楽作りに定評があるゲルギエフがどうさばくのか。正直言って見当がつかない。しかし、だからこそおもしろいのだ。毎夏、イタリアのペーザロでロッシーニ三昧している私だから、中途半端なロッシーニは許せないが、ゲルギエフとなると、今まで全然気づかなかったロッシーニの隠れた魅力が浮き彫りになるのではないかと、俄然楽しみになるのである。

 >>チケットの詳細・申込



 これらの作品の魅力を骨の髄まで味わえる機会は、これが最後かもしれない。なにしろ、ロシア・オペラの魅力がじゅうぶんに花開くためには、ロシア・オペラ独特の発声と美しいロシア語が欠かせない。加えて、ロシアの大地を思わせる、うなるような管弦楽と合唱も。だから聴き(観)逃せないのだが、聴いた(観た)のちにハマッてしまっても、次に同じ作品で同じ感動を得るのがきわめて難しそうな点が困ったことだ。

香原斗志(かはら・とし)◎音楽ジャーナリスト

『マリインスキー・オペラ』 特集

>>チケットの詳細・申込
○マリインスキー・オペラ 「ホヴァーンシチナ」は、こちらから

○マリインスキー・オペラ 「3つのオレンジへの恋」 は、こちらから

○マリインスキー・オペラ 「ランスへの旅」 は、こちらから

○マリインスキー・オペラ 「イーゴリ公」は、こちらから

▼特集ページはこちらから

★マリインスキー・オペラ

2年ぶりの来日となるマリインスキー・オペラ。
本公演ではボロディン≪イーゴリ公≫、ムソルグスキー≪ホヴァーンシチナ≫、プロコフィエフ≪3つのオレンジへ恋≫、ロッシーニ≪ランスへの旅≫を披露します。ロシアの深淵と美の世界をカリスマ、ゲルギエフが魅せます。

>>チケットの詳細・申込は、こちらの特集ページからどうぞ! 


★フェスタ サマーミューKAWASAKI 

今年で3年目を迎えるサマーミューザ。気軽に立ち寄れる70分の短いコンサート、3,000円を中心とした手ごろなチケット料金、勤め帰りでも間に合う開演時間、公開リハーサルや指揮者のトークなど、これまでになかったコンサート・スタイルが魅力です。首都圏で活躍する9つのオーケストラを中心とした「ホンモノ」のクラシックコンサートの「感動」と「楽しさ」をお贈りするフェスティバル!!
ミューザに巻き起こるオーケストラ大旋風を体験してください。

>>チケットの詳細・申込


★サントリーホール 正午(ひる)の名曲定期便

サントリーホール<大ホール>に登場し「お昼のクラシック」としてすっかり定着した、平日の正午に始まる約1時間のオーケストラ・コンサート。
今回は、エルガーからビートルズ、そして「007」までイギリスの音楽を特集してお贈りいたします。指揮とお話はエリザベス女王から大英勲章を授与されている日本指揮界きってのイギリス通、尾高忠明。素敵な午後のひとときをぜひサントリーホールでお楽しみください。

>>チケットの詳細・申込


★マティアス・ゲルネ(br)

マティアス・ゲルネは数多くのバリトン歌手たちの中で、抜群の存在感と大きな輝きを放つ逸材。本公演では「冬の歌」、「美しき水車小屋の娘」などを披露します。

>>チケットの詳細・申込


★第23回<東京の夏>音楽祭2007 島へ−海を渡る音

東京の街で世界の音楽を楽しめ、世界の文化を知ることが出来る<東京の夏>音楽祭。今回は時空の海を漕ぎ渡りながら、そこに浮かぶ島々の芸術文化を紹介します。
素敵な新しい音楽との出会いがあなたをお待ちしています。

>>チケットの詳細・申込


★ベルリン・バロック・ゾリステン(弦楽アンサンブル) with エマニュエル・パユ(fl)

古楽界をリードするアンサンブルとしてその名を世界に広く知られるベルリン・バロック・
ゾリステンと天賦の表現力でフルートの魅力を伝える天才、エマニュエル・パユの豪華共演です! “ベルリン”が繋いだ音楽に期待が高まります。

>>チケットの詳細・申込

アンヘル・ロメロ&村治佳織 リハーサルin カリフォルニア

 

>>チケットの詳細・申込

 

>>『王子ホール「G−Lounge#7 アンヘル・ロメロ(g)」』公演の詳細・申込はこちらから 

 

514日フェスティバルホール(大阪)、16日東京オペラシティコンサートホールで予定されているアンヘル・ロメロと村治佳織の公演に向けて、アメリカ西海岸サンディエゴのアンヘル・ロメロ邸にて、リハーサルが行われた。昨年春、村治のロサンゼルス公演に、アンヘルが訪ねたことがきっかけとなり、実現した今回のこの企画。1年ぶりの再会ということになるが、4日間に亘って行われたリハーサルで、現代の巨匠アンヘル・ロメロと日本ギター界のミューズ村治佳織の間には着実に信頼関係が築かれていったようだ。

(ロメロ邸のリビングでリハーサルは行われた)

 

アンヘル・ロメロの自宅は、サンディエゴ空港から車で40分ほどのサン・マルコスという街の丘の上にある大邸宅。カリフォルニアの青い空、そしてたくさんの緑に囲まれた環境に、東京育ちの村治はただただ「羨ましい・・・」の一言。

(街が見渡せるテラスにて)

アンヘルは、普段練習するときは、愛車のレンジローバーにワインや食べるものを積んで、近くの山、あるいは海へ行くのだという。「自然からたくさんのインスピレーションを受けることができるのです。目の前に広がる美しい風景から感じたことをそのままギターで表現して行く・・・。印象派の画家が自然を描く作業と一緒です。」

 

今回、大阪では協奏曲、東京ではデュオ・リサイタルが予定されているが、大阪でふたりが共演するホアキン・ロドリーゴ作曲「マドリガル協奏曲」は複雑なパッセージが多用されている大変な難曲。まずはそちらの練習から始めた二人。10の楽章のひとつひとつを丁寧に合わせて行く。時折アンヘルが、指の力の入れ方や、姿勢、弦の弾き方などを、村治に教える場面も見られた。「2003年にもスペインのギタリスト、ホセ・マリア・ガジャルド氏と共演し、その際にも丁寧にいろいろとご指導をいただきました。今回は、ロメロ・ファミリーの中でも屈指のテクニックを誇るアンヘルの指導を受け、多くのことを学ぶことができました」と語る村治。

 

アンヘルはホアキン・ロドリーゴと厚く親交を結んでおり、この「マドリガル協奏曲」も、兄ぺぺとアンヘルの二人に捧げられたものだという。練習の合間に、アンヘルが面白おかしく語るロドリーゴの思い出話に、村治は目を輝かせて聞き入っていた。


(ロドリーゴのエピソードは奇想天外なものばかり?!)

「ロドリーゴ氏には、幸運にも私もなくなる半年前にお目にかかることができたのですが、今回たくさんのエピソードに触れることができ、大作曲家がより身近に感じられました。そして、まさにこのように親しくお付き合いをしていたアンヘルと一緒にこの作品を演奏することが出来るということは、本当に光栄なことです。」と語る村治の表情から公演への期待が伺える。

 

 

特にスケジュールが決められていたわけではなかったようだが、最初の2日間は、午前中はそれぞれが練習し、午後から合わせるという具合に進んでいった。時には、アンヘルが今回のツアーで予定されている王子ホールでの、日本では18年ぶりとなる唯一のソロ・リサイタル(518日)の曲目を爪弾き、3月に王子ホールでの公演を終えたばかりの村治に、王子ホールの聴衆の様子などを尋ねたりと、演奏家ならではの情報交換が行われていた。


(自身のソロリサイタルのチラシにじっと見入るアンヘル)
18年ぶりの日本でのソロ・リサイタルのために「大人向けの“セクシー”なプログラムを用意した」というアンヘル。村治にとっても初めて巨匠の生演奏を聴く機会となる。「こちらは一聴衆として楽しみにしています」と語っていた。3日目の午後、「大体方向性が決まった」というふたりは、午後も単独で練習することに。村治が太平洋を望む大きな窓のあるロメロ邸のリビングルームで練習を始めると、アンヘルの姿が見えなくなった。夕方、鼻の頭を赤く日焼けして戻ってきたアンヘルは、「久しぶりに山で練習してきた」という。それから始まったふたり一緒のリハーサルは、更に完成度を増し、夕日に染まるリビングルームに美しいハーモニーが響き渡っていた。

 

最後の練習日となる4日目、東京のデュオ・リサイタルのコンセプトをふたりに尋ねてみた。アンヘルがリードする形で決まったというプログラムのテーマは「出会い」だという。「まずは、ふたりの関係を築くために、スカルラッティなど古典の作品を、そしてお互いに良く知っているスペインの曲を選びました。」と語るアンヘルは、村治佳織について、「非常に良く勉強していて、音楽に誠実に向き合っている点に感心しました。リハーサルはとても上手く行きました。それもひとえに、私達が音楽的にも人間的にも共感し合えたからだと思います。できれば今回だけでなく、今後も共演の機会があればと思っています」と語った。年齢差を越えて、息の合ったふたりの共演は、ギターファンのみならず、クラシックファンにとっても見逃せないスリリングな公演となりそうだ。「初めて日本に行った時、なぜか故郷に帰った気がした。自分は前世で一度日本人だったことがあるはず」と語るアンヘルに「私は先日出演したTV番組で、前世でとても破天荒な人生を送った男性だったと言われたんですよ。実はアンヘルのような人物だったのでは・・・」と、演奏以外でも息の合ったところを見せていたふたりだった。

 >>チケットの詳細・申込 

>>『王子ホール「G−Lounge#7 アンヘル・ロメロ(g)」』公演の詳細・申込はこちらから

 

 

>>チケットの詳細・申込

 

 この日をどんなに待ち望んだことだろう。上岡敏之が手兵ヴッパータール響とともに来日し、東京だけでも二回のコンサートを指揮するのだ。嬉しい!胸がわくわくする。

読売日響を振ったシューマンの「四番」、ブラームスの「一番」、モーツァルトの「リンツ」を耳にして以来、ぼくは上岡という指揮者が未来のシューリヒトになることを信じて疑わないようになった。シューマンの味の濃さは別として、モーツァルトもブラームスも一見速いテンポですっと流しつつ、得もいわれぬニュアンスに満ち、大胆なルバートが頻出し(しかも極めて自然に)、ときには大爆発を起こす。とても只者ではない。しかも、今回は手兵との公演と思うとさらに期待は高まる。

おそらくは彼の手足のように動くであろうヴッパータールとの「運命」や「悲愴」は聴きもの中の聴きもの!接してみるまでは演奏の外観すら考え及ばない。能力はあっても深い芸術的表現力に欠ける指揮者たちが跋扈する現在、眞の才能とはいかなるものであるかを上岡は示すであろう。必然的に聴衆の耳や感受性も試させることになる。

ブルックナーに対しては、僕は慎重に構えておこう。あまりに特殊な作曲家だからだが、逆に上岡のシューリヒト・スタイルがマッチするかも知れない。しかし、それよりも弾き振りのモーツァルトが大期待だ。

宇野功芳(音楽評論家)


>>チケットの詳細・申込

濃厚すぎるほどの「ザ・ドイツ・オペラ」
ベルリン国立歌劇場の卓越した歌手たち

▼特集ページはこちらから


 
 ベルリン国立歌劇場が名門であることに、誰も意義を挟めないけれど、その歴史は一筋縄では紐解けない。今から80年も前には、フルトヴェングラーやワルター、E・クライバー(あのカルロスのお父さん)、クレンペラーら、綺羅星のようなマエストロが棒を振っていた。が、ヒトラーが政権を掌握してからは、オーケストラに欠かせなかったユダヤ系の力ある団員たちが解雇され、名指揮者は次々に亡命し、挙句の果てに劇場は2度の爆撃で破壊され、1955年に復興するものの、61年にベルリンの壁が築かれて東側の位置したために孤立し……、という具合。まさに、ナチス以降のドイツの悲劇を地でいっているのだ。
 で、89年の“壁”の崩壊まで東独のオペラハウスとして、少々ひなびた存在になったのだが、衣食足りずとも文化予算はしっかり組むぞ、というのが当時の社会主義国。そのせいで貧しい暮らしを強いられた人には気の毒だが、なにはともあれ、オーケストラのアンサンブルの実力は、地味ながらも維持された。だから91年に、アルゼンチン生まれのユダヤ人、ダニエル・バレンボイムを音楽総監督に迎えるやいなや、名門のDNAが瞬く間に花開き、世界のオペラのひとつの“核”ともいうべき名声を得ることができたのだ。
 あの、聴き手を根こそぎ陶酔に引きずり込むようなワーグナーのうねり、活気と優美が両立したモーツァルト、シェーンベルクなど20世紀の作品で聴き手を圧倒する機能性――つまり、今回の3作品は、この歌劇場の魅力を全方位から確かめられるものだ――。こうしてオーケストラが輝けば、いきおい歌手も輝くというもの。たとえば、ワーグナーを上演すれば、聖地バイロイトもかくや、というほどの実力派歌手が集まってしまう。同時に、若い歌手も次々に育っている。理想的な好循環が起きているのである。

美声、美形ぞろいの《ドン・ジョヴァンニ》

 というわけで、まず《ドン・ジョヴァンニ》を覗いてみよう。外題役のドン・ジョヴァンニだが、神をも恐れぬ女ったらしも身分は貴族。それに彼は、けっして信念を曲げない英雄でもある。ということは、ノーブルな声が絶対条件だが(だって、荒くれ者やぶっきらぼうな男に、女性があまねくイチコロになるとは思えないではないか)、その点でスウェーデン生まれのペーター・マッテイはうってつけ。ノーブルな声を様式的な美しさを損なわずに響かせるという点で抜きん出ているバリトンだが、実はそれは、モーツァルトが求めた様式にも適っている。さらに言えば、表現にも容姿にも“チョイ悪”の雰囲気が漂っているのが、なおさらジョヴァンニらしい。表現に節度が必要なのは、従者のレポレッロも同じ。この役を弾けて演じると、吉本新喜劇になってしまう。端正に表現してこそ、滑稽味も醸し出されるというものだが、その点、ハンノ=ミューラー・ブラハマンは、まじめすぎるほど端正な歌手だ。
 女声陣はどうか。ドンナ・アンナは、オペラ・セリア(歴史や神話を題材にしたまじめなオペラ)のヒロインのような堂々たるアリアを歌う一方、なにしろ彼女が魅惑的でなければ、ドン・ジョヴァンニの物語は始まらなかった、という役。モスクワ生まれでまだ30歳そこそこのアンナ・サムイルの厚みのある美声と美しい容姿は、その意味でも説得力がある。一方、ドンナ・エルヴィーラはもう少し直情的な女性だが、ベルリン生まれでやはり30歳そこそこのアンネッテ・ダッシュは、繊細な表現と、ここぞというときのパンチが両立した美しいソプラノ。ツェルリーナのシルヴィア・シュヴァルツも美形でスタイルもいい。つまり、だれの容姿も声もドン・ジョヴァンニが惹かれて当然、という“女の魅力”があり、その点でも得がたいキャスティングである。

最高の布陣、究極の《トリスタンとイゾルデ》

 次に《トリスタンとイゾルデ》。これは、歌手にとっては、殺人的なオペラだ。トリスタン役のテノールは、オーケストラを突き抜ける劇的な声が必要なのはもちろん、たとえば第2幕では、そんな声を延々と響かせたのに続いて、イゾルデとの愛の二重唱を30分近くも歌うのだ。これは、半音階を多用した陶酔的な音楽だが、逆にいえば、こんなに長時間、聴き手を陶酔させなければならないってこと。さらに第3幕では、ついに命果てるまで、何十分もひとりで回想し、錯乱し、幻影を見て……、とにかく歌い続けなければならない。そんな芸当で聴き手を納得させられる歌手は、そりゃあ滅多にいない。そんな中で、いま最高のトリスタンは掛け値なしにクリスチャン・フランツだろう。まだ30代のドイツ男。瑞々しく、かつ輝かしい声自体も魅力的だが、ことこの人に限っては、トリスタン役にはつきもののスタミナ切れの心配が、まず要らない。
 イゾルデも負けず劣らず大変だ。第3幕のクライマックス「愛と死」では、官能が次第に高まってカタルシスに至るまでを、これほど見事に描いた音楽はほかにあるまい、という代物だが、だからこそ歌手にとっては荷が重いのだ。そこでワルトラウト・マイヤー。イゾルデ役のソプラノはとかく絶叫しがちで、そんなふうに愛だの官能だのを歌われると興醒めだが、マイヤーは絶叫とは無縁の歌手だ。陰りを帯びたその声を、あくまでも節度を保ってしっとりと響かせる。しかしながら、十分な響き。いま円熟の境地だが、あまり歳を重ねると歌えない役だから、まさに聴きどきだ。
 ブランゲーネには、東京のオペラの森《タンホイザー》で、裸身をさらしながら体当たりでヴェーヌスを歌ったばかりのミシェル・デ・ヤング。翳りある声は、ヴェーヌスよりむしろブランゲーネに合うかもしれない。マルケ王には、声の力強さと気品の両立、響きの深さと美しさという点で、まぎれもなくドイツ系のバスの最高峰であるルネ・パペ。クルヴェナルには、禁欲的なまでに様式美を保っている名バリトン、ロマン・トロケル。これ以上の《トリスタン》は、なかなか考えられない。

《モーゼとアロン》、切迫した真の声、真の響き

 最後にシェーンベルクの《モーゼとアロン》。モーゼは、イスラエルの民を救え、という神託を受けたけれども口下手なので、民衆を説くのに兄のアロンの力を借りる。が、民衆は結局、言葉よりも偶像を崇拝してしまう……。その“偶像”を、ヒトラーなり、世界の警察を自認するブッシュなり、郵政民営化が改革の本丸だ、と訴えた前首相なりに置き換えてみれば、この作品が今もって力強い生命を保っていることが実感できるのでは――。
 さて、シェーンベルクはそれを描くにあたって、調性を破壊し、12の音からなる音列からメロディも和音もすべて引き出したが、そこでは、理想をひとつひとつ、歌うというよりも語るモーゼと、下世話な現実を朗々と歌い上げるアロン、というふうに、対象となる二人を表現する方法も、はっきりと分けられている。で、まずモーゼ役のジークリート・フォーゲルだが、アクセントが効いた力強い声が持ち味のバスの大ベテランだ。この役は語りに説得力がないと成立しないので、単に“歌える”若い歌手には務まらない。フォーゲルは適任だ。アロンは、アメリカ出身のトーマス・モーザー。ちょっと暗めな厚い声で、それこそトリスタンなどが得意なドラマティック・テノールだが、もともとはモーツァルト歌手だったというだけあって、繊細な表現も得意。十二音技法の難解なフレーズを情感込めて歌うには、これもぴったりの配役だろう。
 また、この作品は合唱も主役のひとつだが、上演に当たってバレンボイムが2年間鍛えたという力強い合唱が、圧倒的な感銘をもたらせてくれるはずだ。

 ベルリン国立歌劇場はイタリア・オペラも上演するが、正直言って、配役にも響きにも違和感が残ることが多い。どうしても“ドイツ的”になってしまうのだ。それは裏返せば、ドイツものを上演すれば他の追随を許さないということ。今回の3演目を見ても、ドイツの血が濃すぎるくらいに濃いのである。ドイツ・オペラの魅力を濃縮して還元し忘れたジュースの原液、とでも言おうか。その強い刺激には、覚悟して臨んだほうがいいかもしれない。

香原斗志(かはら・とし)◎音楽ジャーナリスト


▼特集ページはこちらから