『ホセ・カレーラス』 特集

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3/10(土) 10:00 〜 3/14(水) 18:00
3/17(土) 12:00


◆5月2日(水) ホールA
auditorium Dostoievsky−ドストエフスキー
ホールB7
auditorium Mallarme−マラルメ
ホールB5
salle Garcia Lorca−ガルシア・ロルカ
ホールC
auditorium Kafka−カフカ
ホールD7
salle Ibsen−イプセン
相田みつをミュージアム
salle Strindberg−ストリンドベリ


◆5月3日(木) ホールA
auditorium Dostoievsky−ドストエフスキー
ホールB7
auditorium Mallarme−マラルメ
ホールB5
salle Garcia Lorca−ガルシア・ロルカ
ホールC
auditorium Kafka−カフカ
ホールD7
salle Ibsen−イプセン
相田みつをミュージアム
salle Strindberg−ストリンドベリ


◆5月4日(金) ホールA
auditorium Dostoievsky−ドストエフスキー
ホールB7
auditorium Mallarme−マラルメ
ホールB5
salle Garcia Lorca−ガルシア・ロルカ
ホールC
auditorium Kafka−カフカ
ホールD7
salle Ibsen−イプセン
相田みつをミュージアム
salle Strindberg−ストリンドベリ


◆5月5日(土) ホールA
auditorium Dostoievsky−ドストエフスキー
ホールB7
auditorium Mallarme−マラルメ
ホールB5
salle Garcia Lorca−ガルシア・ロルカ
ホールC
auditorium Kafka−カフカ
ホールD7
salle Ibsen−イプセン
相田みつをミュージアム
salle Strindberg−ストリンドベリ



◆5月6日(日) ホールA
auditorium Dostoievsky−ドストエフスキー
ホールB7
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ホールB5
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ホールD7
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『小澤征爾音楽塾オペラ・プロジェクト  <VIII>』 特集

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『新国立劇場』 特集

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このオペラはこう歌われなければならない!

理想の歌手を揃えたドレスデン国立歌劇場

 

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 ドレスデンは2004年に世界遺産に登録されたのだけれど、それは私たち日本人の感覚では、にわかには信じられないことだ。だって、この街の85%は1945年の空襲で灰燼に帰したのだから。同じくらい破壊された東京や大阪が世界遺産に登録されるなんて、あり得ないじゃないか。なのに、ドレスデンではあり得たのは、復興の仕方がハンパじゃないからである。かつての面影なんてハナから無視して高層建築を無秩序に建てまくるわが国の都市と違って、ドレスデンの人たちは瓦礫の中から残骸を拾い集めつつ、できるかぎり元あったとおりに建物を再建し、ゲーテが「エルベ川沿いのフィレンツェ」と讃えた街並みを取り戻してしまった。

 もちろん、ドレスデン国立歌劇場(ゼンパーオーパー)も1985年、8年をかけた末に「世界で最も華麗」と謳われた姿を蘇らせたのだ。いやはや、この街の人たちが伝統に賭ける心意気たるや、並大抵ではないのがおわかりいただけるだろう。それは、オペラに対しても変わらない。とくにドイツ・オペラに対しては、伝統に即した様式を守り、ドイツらしい音を維持する、ということに、どれだけ心を砕いていることか。それが証拠に、この街が誇る世界最古の歌劇場管弦楽団(シュターツカペレ・ドレスデン)は、これぞザ・ドイツ音楽と叫びたくなるような、深い響きを宿していることにかけては、間違いなく世界一だ。歌手の選び方だってそう。いたずらにスターを呼ぶよりも、その作品の様式や精神をきちんと表現するのに適した逸材を選んでいる。

 とりわけ、今回、日本で上演される3演目は、いずれもドレスデンで初演された作品だから、なおさら気合の入り方が違うというもの。あたかも、最近復興なった聖母教会にはめ込まれた古材のように、その作品になくてはならない人材が地道に選ばれている。


◆強靭な美声を備えた《タンホイザー》の歌手たち 

 

 まずは、ワーグナー《タンホイザー》。このオペラのタイトルロールは、強靭な声が求められるのはもちろんだけど、一本調子じゃ話しにならない。苦悩やら葛藤やらを、音を細かく操りながら表現できなければいけないのだから、なかなか満足なタンホイザー役には出会えないのである。そこで、ロバート・ギャンビル。生まれこそアメリカでも、ドイツで学んだ彼の声は強靭なうえに、官能的な、と言ってもいいくらい艶やか。2002年、ベルリン州立歌劇場来日公演の《ワルキューレ》で、これぞヘルデン・テノールというジークムントを披露してくれたが、とにかく美声が上から下まで乱れない。つまり完全にコントロールできている。理想的なタンホイザーと言っていいんじゃないか。

 ヴォルフラム役のオラフ・ベーアは、彼のドイツ語の美しさといったらない、という歌手。なんというか、魂が宿った言葉がこちらの心目がけて飛んでくるかのようだ。あの言葉の響きを伴って「夕星の歌」を聴けたらいいなあ、と思う。もうひとりのヴォルフラム、アメリカ人のアラン・タイトスは、新国立劇場の《神々の黄昏》でのヴォータンの、存在感ある名唱が忘れがたい。

 清純なエリーザベトはまず、アンネ・シュヴァンネヴィルムス。叙情的で、生娘のような純粋さも漂わせ、それでいてよく響くという、何拍子かそろった声の持ち主だ。《ばらの騎士》の元帥夫人なども歌える、細やかな表現も身についている。もう一人、フィンランド出身のカミッラ・ニールンドは、2004年のザルツブルク・イースター・フェスティバル来日公演で、サイモン・ラトル指揮の下、ベートーヴェン《フィデリオ》のレオノーレ役を歌ったけれど、男装してフィデリオに化けたって、その声じゃ女だってバレバレだよ!と言いたくなるくらい、フェミニンな声(容姿も)。それでいてよく響くから、エリーザベトにはぴったりだ。

そして、官能の世界を代表するヴェーヌスは、ワーグナーの聖地バイロイトでブリュンヒルデを歌っているエヴリン・ヘルツィリウスと、やはり、こちらもバイロイトのブリュンヒルデ経験者のガブリエレ・シュナウトという贅沢なダブルキャスト。シュナウトは、とにかく声帯が尋常じゃなく強い。よほどドラマティックに張っても声がかすれず、弱声でもフォームが崩れない。訓練以前に、からだの作りが違うんだ、と納得させられる数少ない歌手だ。

 

 


◆繊細さと気品に富んだ《ばらの騎士》

  

リヒャルト・シュトラウスの《ばらの騎士》はどうか。元帥夫人はアンゲラ・デノケだが、この歌手を聴き逃したりしたら損失が大きすぎる。《フィデリオ》のレオノーレを、《ワルキューレ》のジークリンデを、彼女ほど役に没入して歌いきった歌手はあまりいない。美しいドイツ語による繊細な表現。ピアニッシモの美しさ。そしてなにより、艶のある声が低音から高音まで実に自然に響き(自然に聴こえるくらい徹底的に制御しているのだが)、声を張るべきところではしっかり張れる。まさに元帥夫人の“諦念”を、声で醸し出してくれるはずだが、おまけに、その気品ある容姿まで元帥夫人みたい(ちょっと容貌に陰りが見えはじめているところも含めて)なのがいいではないか。

 オクタヴィアンは新鋭のメッゾ、アンケ・ヴォンドゥング。昨年末にもこの役をパリで、ヴェッセリーナ・カサロヴァの代役として歌って成功を収めている。若さが身上の“少年役”なだけに、若い声に大いに期待したい。透明な声と安定したテクニックで、今や日本を代表するソプラノに成長した森麻季のゾフィーも、大きな話題だといえるだろう。

一方、野卑なようでいて、貴族的な優雅な物腰にも欠けてはいけない(だから歌いこなすのが難しい)オックス男爵は、オーストリア出身のベテラン、クルト・リドルだ。たとえば、《ワルキューレ》のフンディングなどを歌っても、粗野な男に終わらず、いや、むしろジークムントが野卑に思えてしまうほど声に気品を漂わせてしまうリドルだから、オックス男爵のあるべき姿を示してくれるに違いない。

 


◆視覚にも聴覚にも理想の《サロメ》 

 

 

 最後に、同じR・シュトラウスの出世作《サロメ》。こちらはなんといっても、7枚のヴェールの踊りで、“聴く人”だけでなく“観る人”にも、これでもかというほどに濃密な官能を味わわせなければならないから大変だ。いやいや、現実には、タップリと肉が付いていて、頼むから見せないでくれよ、と言いたくなるようなサロメが多いのだ。それももっともな話で、この役にはかなりドラマティックな声が求められるから、そういう声の持ち主は自然とからだもドラマティックになり……というわけだが、そうでないのがカミッラ・ニールンドだ。

 エリーザベトのところでも触れたけれど、スラッとした長身で、女らしさをムンムンと漂わせているのだ。加えて、声もフェミニンで、表現はとても繊細で、なのによく響き、ドスも利く。サロメはこうでなきゃ。

 サロメが異常な愛を注ぐヨカナーンや、両親のヘロデとヘロディアスは、中堅どころの歌手でお茶を濁すことが多いが、この舞台では違う。なんと、ヴォルフガング・シュミット、アラン・タイトス、ガブリエレ・シュナウトという、《タンホイザー》の主役陣で固められているのである。となると、これは究極の《サロメ》になる可能性、大かもしれない。

 とまあ、さすが本家本元なのである。伝統という文化の血統が、体中の毛細血管まで行き渡っているだけに、ドレスデンは作品があるべき姿を見失わない。この作品は、こう演奏されなければいけない……。それはグローバル化の名の下に、その作品が本来持つべき“らしさ”を犠牲にしている各国オペラ界のありように対する、問いかけでもあるのだろう。

香原斗志(かはら・とし)◎音楽ジャーナリスト

 

 

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 やっとつかんだ幸せは、恋人の父親によって引き裂かれ、寂しく病に倒れるが、辛うじて恋人が死に際に間に合って……。《ラ・トラヴィアータ》(椿姫)には、ちょっと紙一重のところがある。いい演奏で聴くと、涙腺が壊れてしまうほどの事態になるのに、観る(聴く)方が冷めていると、クサい田舎芝居みたいに思えてくる。たとえば、あの韓国ドラマ「冬のソナタ」などもそうだ。節目ごとに主人公が交通事故に遭うご都合主義は冷静になればバカらしいのだけれど、主役のヨン様ことペ・ヨンジュンとチェ・ジウの絶妙な演技(とルックス)のおかげで、一見バカらしい展開は、むしろ観る人を引き込む有効な装置になっていた。  《トラヴィアータ》がこれだけ頻繁に上演されながら、十分に満足できる演奏に出会ないうえに、食傷気味の人が増えている理由もそこにある。ヴィオレッタという役、あまりにも多くのソプラノが歌うから、誰にでも歌えると思いがちだが、それは誤解。たいへんな難役なのだ。1幕で華麗にして繊細な装飾を歌いきった直後、2幕では揺れる心をドラマティックに表し、死が迫った3幕では、さらにそこにピアニッシモを加える。言ってみれば、浅田真央ちゃんがトリプルアクセルを決めた直後に、岡崎朋美と並んでタイムを競わなきゃならないようなもので、そりゃあ難しいよ、っていう役なのだ。そこで、エヴァ・メイの登場である。

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「ドレスデン国立歌劇場」特集

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     韓国国立オペラ団 東京公演

オペラ 『ソヒャンの結婚〜天生縁分〜』 全2幕
The National Opera of Korea The Wedding day

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韓国国立オペラ団が創作グランドオペラとしては初めて海外公演に臨んだ作品であり、2006年3月にドイツにて上演され、高い評価を受けました。
原作は呉泳鎭の『孟進士宅慶事』。(韓国の伝統的な結婚制度の矛盾を風刺した喜劇)オペラ『ソヒャンの結婚』は“結婚”という全世界共通の題材を扱うと同時に、韓国の伝統的な結婚文化を垣間見ることもできます。



◆あらすじ◆

名声高いキム判書と姻戚関係を結んで身分格上げの望みを果たそうとするメン進士は一人息子モンワンを留学先の清から呼び戻す。

朝鮮最高の家柄の子孫だが貧しいキム判書は、孫娘ソヒャンに貧乏暮らしをさせまいと、朝鮮一の大金持ちであるメン進士の息子との結婚を許可する。

モンワンとソヒャンは相手を知らないままでは結婚できないと、ある策略を企てる。

端午の祭りの日、互いに入れ替わったソヒャンとイップニ。モンワンとソドン。ところが、モンワンはソヒャンに変装した絶世の美女イップニに一目惚れし、ソドンはイップニに変装した聡明なソヒャンに心を奪われる。
モンワンは事実を話して想いを告げるが、これに驚いたソヒャンとイップニは逃げ出してしまう。
ソドンは、ソヒャンへの想いを告白し新天地に旅立とうと誘う。

未来への思いを共にする愛を見つけたソヒャンは結婚式当日に出発することを約束し、イップニに身分を変えて結婚式を挙げようと提案する。

式当日。喜びに湧くメン家の人々、顔を隠した新婦、お金のための結婚に暗い表情のキム判書。

皆の祝福を浴びてモンワンとイップニの婚礼は華やかに執り行われた。
そして明け方、入り江には愛を誓い合ったソドンとソヒャンを乗せた船が水平線に向けて漕ぎ出して行く。


◆キャスト◆

配役キャスト
キム・ソヒャン
(キム家の一人娘)
キム・セア
イップニ
(キム家の召使いソヒャンの親友)
パク・ジヒョン
キム判書
(キム家の家長ソヒャンの祖父)
キム・ジンチュ
メン・モンワン
(メン家の跡取り息子)
イ・ヨンファ
ソドン
(メン家の下男モンワンの親友)
未定
メンジンサ(孟進士)
(メン家の家長)
ハム・ソクホン
チョン吏房
(メンジンサの部下相談役)
ソン・ウォンソク
メン夫人(孟夫人)
(メンジンサの妻)
アン・ヒョンギョン


◆プロフィール◆

キム・セア(ソヒャン役/ソプラノ)

韓国チュゲ芸術大学音楽学部声楽科、イタリアのコモG.Verdi国立音楽院を卒業。アメリカアリゾナ州立大学ミュージックキャンパス最高演奏者課程を修了、イタリアミラノアカデミーを卒業。M’Pier Miranda Ferraro声楽コース最高演奏者コースを終了した。
Scuola Musicale di Milano主催コンクール1位、Umberto Giordano国際コンクール2位、Ismaele Voltolini国際コンクール2位、Premio Spirios Aigiris citta di Sarzana国際コンクール3位、Teatro Rosetum国際コンクールとVoci Verdianeヴゼット国際コンクール入賞等、多数のコンクールにて受賞。レパートリーとしては「トスカ」「蝶々夫人」「コジ ファン トゥッテ」等がある。現在韓国国立オペラ団常勤団員。

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パク・ジヒョン(イップニ役/ソプラノ)

韓国ハニャン大学校音楽大学声楽科、イタリアのミラノVerdi音楽院声楽科及び助教過程を経て、バルジェリア音楽院を卒業した。
韓国内のテグコンクール、イタリアベルガモコンクール等多数のコンクールに入賞。韓国国立オペラ団の「カルメン」「魔弾の射手」「ホフマン物語」の他、オペラ「コジ ファン トゥッテ」「ドン パスクヮーレ」「フィガロの結婚」「後宮からの逃走」に出演。また、ドイツザブリーケン州立オペラ劇場「ホフマン物語」にも出演。現在ハニャン大学音楽大学講師。


■公演日時 2007年 6月27日(水)、6月28日(木) 各19時開演

■会  場   東京文化会館 大 ホール

■発売日     2007年1月27日(土)

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>>韓流スターのリュ・シウォンが熱いエールを!

 華麗な声を全身に浴びてエクスタシーを味わいたい――なんて、オペラの魅力のツボにいちどハマってしまった人なら、そう願うのではないだろうか。 磨き抜かれた声の流麗な響きと名技をたっぷり楽しめるオペラといえば、私の場合、真っ先に思い浮かぶのが、ベッリーニの《清教徒》だ。

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グリージ(ソプラノ)、ルビーニ(テノール)、タンブリーニ(バリトン)、ラブラシュ(バス)という、初演された1835年当時、最高で、今もって伝説となっている歌手たちを前提に書かれたこのオペラは、でも残念ながら、よほど歌手に力がないと歌いこなせず、なかなか上演されないので……。えっ、宗教音楽の話のはずが、なんでこんな話を始めたかって?
 実は、上記のグリージとタンブリーニは、ロッシーニの《スターバト・マーテル》の初演歌手だし、しかも、初演(1942年)の場所も、聖堂じゃなくて、《清教徒》と同じパリのイタリア劇場。れっきとしたオペラハウスなのである。
 いやいや、実際に聴いても、第2曲テノールのアリアで、流麗な旋律に釘づけになり、第3曲ソプラノとメッゾ・ソプラノの官能的なデュエットで、心底うっとりとさせられる。第4曲バスのアリアは力強い低音を全身に浴びられるし、第7曲メッゾのカヴァティーナは悲痛な祈りに心を掻きむしられて、第8曲ソプラノのアリアはオペラのクライマックスのようにドラマティック。終わってみればすっかり陶酔してしまって、腰が上がらない。まさに、上等なオペラを聴いたときの感興そのもの、いや、ある意味、それ以上かも。だって、聴きどころになるアリアや重唱ばかりが、これでもかと並んでいるのだ。
 だから初演のときも、自由な気持ちで聴いた人はすっかり心を奪われて、熱狂的に迎えた一方で、頭でっかちの人からは、やれ官能的だとか、やれ優美にすぎるとか、やれ宗教音楽の伝統を犯すものだとか、散々こき下ろされもした。でも、それも当然というか、ロッシーニは、この「悲しみに沈んだ聖母」を描いた詩に、人間のドラマを見出したから、オペラハウスでオペラ歌手が歌う前提で曲を書いたのだ。当時のキリスト教“原理主義者”からすれば、ケシカランと思えたのもわからないではないけれど、今日、われわれ“異教徒”が聴くには、こんなにうれしいことはない。
 もちろん、ロッシーニはオペラを書くときとは違った様式で書いているから、安易に“オペラ的”なんて言うと、天国のロッシーニに怒られちゃうかもしれないけれど、全曲にあふれる美しすぎる旋律を味わう喜びは、まさにイタリア・オペラを聴く醍醐味と重なるのである。

 ただし……、《清教徒》と同じで、よっぽど歌手が揃わないと、立派な演奏にはならない。申しわけないようだが、私はペーザロのロッシーニ・オペラ・フェスティバルで、上等な《スターバト・マーテル》を何度も聴いているけれど、それでも、4つのパートすべてに立派な歌手が揃うことは、なかなかない。「あんな歌手が歌ってくれたらなあ」と思うことのほうが多いかな。
“あんな歌手”とは、美しい響きとベルカントの華麗な声楽テクニックを兼ね備え、なおかつ、実際にロッシーニを歌いこんでいる人。たとえば、ソプラノなら可憐な声と超絶技巧が同居したエヴァ・メイ、メッゾ・ソプラノなら当代きってのロッシーニ・メッゾ、ダニエラ・バルチェッローナやソニア・ガナッシ、テノールはファン・ディエゴ・フローレスや、流麗で気品があるジュゼッペ・フィリアノーティ、バスなら端整でスタイリッシュなイルデブランド・ダルカンジェロやミケーレ・ペルトゥージ……。が、ちょっと、一流どころを挙げすぎたか、という気がしないでもない。
 だから、私は「オペラの森」のキャストが発表されたとき、腰を抜かすくらい驚いたのだ。だって、ソリストがメイとバルチェッローナとフィリアノーティとダルカンジェロですよ。全員、上記の中にいるじゃないですか!

   
エヴァ・メイ            ダニエラ・バルチェッローナ

   
イルデブランド・ダルカンジェロ   ジュゼッペ・フィリアノーティ          


 が、ソリストだけじゃだめ。古典的な静謐さとロマンティックな激情が同居したようなこの曲を、引き締めながらもエネルギーを引き出しつつ演奏できる指揮者が不可欠だ。すると、リッカルド・ムーティ以上の適材はいない。というわけで、この《スターバト・マーテル》、すごいことにならないことは、あり得ないのである。

 一方、ヴェルディの手になる《スターバト・マーテル》は、この大作曲家の、文字どおり最後の作品。“天才型”ロッシーニと対照的な“成長型”ヴェルディの面目躍如たるのは、まさに練り上げられ、磨きこまれた表現とオーケストレーションだ。ロッシーニのものと違って、歌詞は混声4部合唱が受け持っていて、反復を避けているので十数分であっという間に終わってしまうけれども、静かな祈りと、まるでオペラの幕を閉めるかのような荘厳な合唱が同居して、これまた(ヴェルディに怒られるかな?)、ロッシーニとは別の意味でオペラティックな感興に浸れること、請け合いである。
 これにわずかに先立って書かれた《テ・デウム》もそう。最後、ソプラノの声がディミヌエンドして消えていくところなど、晩年のヴェルディの静謐な心を追体験するかのように感動的だ。最後の最後まで成長を遂げたヴェルディがたどり着いた高みを味わえるのは、実は、《オテッロ》よりも《ファルスタッフ》よりも、これら2作と言ってもいいのかもしれない。
 が、それもやっぱり、繊細で劇的で、かつ気品をもって演奏されないと台無しだが、なんと言ってもムーティ! 2曲合わせて30分余りの演奏時間のなかで、ヴェルディの芸術の到達点を余すところなく味わわせてくれるはずだ。

香原斗志(かはら・とし)◎音楽ジャーナリスト

 

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「チューリッヒ歌劇場」特集

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